2017年4月30日日曜日
カフェオレは平和のしるし
久々になってしまった。
いやー書けなかったのー。
また言葉にならない感覚になってしまって。
んで、日が空いたぶん、なんかたぶん、でろでろ〜んと書いちゃったから、
誤字脱字はもちろんのこと、後で直すかもしれないけど、
でろでろ〜んと、暇つぶしに読んでくれるとありがたき。
ナカコーの新曲すっごいいいよ。
ステマ。
いや、ほんとそう思うよ。凄くいい曲だと思う。
口ずさんでる。
しかも配信?方式が新しいやり方をしているらしい。
私には逆光のようなまぶしい歌に感じる。
素晴らしかった。
やっぱりね面白いことしてくれるなあ。
ちょっと帰省のタイミングもはかっていたところで、北朝鮮のニュースも今迄とはまた違う感じになってきたりしたりしている中ではあるのですが、
お仕事だったり本を読んだり興味があることの調べものだったりしておりました。
あと、前にランチしたときにお店の人がお皿下げてくれながら「好きです」って言われた(鼻血)
私が男だったら完全にフォーリンする絶妙なタイミングであった。(言ってくれたのはカワイイ女性。ファンの方だった。うはうは)
嬉しいわ。華やぐわ。
ついでに、ヘルシーご飯。
いいわね、ヘルシー。
アボカド大好き。
ちょっと帰るタイミングを迷っていたので、お店の方の入荷を抑えていたのですが、
また商品入れていきますよ。
中目黒waltzさんにも「八戸小唄 / 通りゃんせ」の地方からの問い合わせがあったらしく、あ、海外からも問い合わせがあったらしく、
普段は通販はしていなかったらしいのですが、応えてくれたらしいです。
どうもありがとうございます。
民謡、童謡というのは、土地に根ざした音ということで、
絵を飾ったりしたり、植物やお花に水をやるようなリラックスして生活に溶け込んでくださるといいなあと思っています。
そういうふうに音楽を楽しみたいお年頃の方々もいらっしゃると思います。
八戸と川越の音楽だったのですが、北海道から九州まで、はたまた海外まで...
興味をもってくださってすごく嬉しいなあ、、と思っています。
お手紙(音楽)届いていますか〜?
自分のお店は、これまで都心部から西日本の方々が圧倒的に多かったんです。
出身地である東北にめっぽう弱い...わたくしの力の無さが情けないからなのですが笑(うおお〜がんばるだす)
これは、ネットショップをアクティブに使う人口自体が少ないのかもしれないですけれどね。
でも今回八戸の方々にもご利用いただいたりして、とっても嬉しかったなあ。
で、故郷以外の日本や海外の方にも、興味を持っていただけることが更に嬉しかったなあ。
海の近くの方は、是非共通点を探してみて欲しいし、はたまた「通りゃんせ」も和の音階の楽曲で、それぞれの街の信号機で耳にする機会があったら、口ずさんでみて欲しいです^^。
みよしの神社の焼きそば... 食べにいかなければ笑笑笑。
きっかけは、その時に、精神的にも新規でロックとかポップスとかのフィールドで音楽を鳴らすイメージが全く浮かばなくなっていた、というのがひとつ。
んで、随分若いときからコラムで地元への愛憎について書いていたことがあって、
当時、コラムを連載していた編集の方から「帰らない」ではなくて「帰れない」と書いた事にちゃんと気付いてくれて、色々感想をくれたりしたのを思いだしたりもするんだけど...
それはおいといて、
2011年以降、急激に地元に帰る機会が多くなって、
ルーツというか自分にしみ込んでいるものがそこにあることを改めて思うんだけども、
地元に帰ると、あったかいというより、ものすごく寂しい気持ちも押し寄せる感覚も持っていて、疎外感のようなものですね、それをずっと感じていて、
お店で小さい頃から耳にしている民謡が掛かったり、たいてい海にいくと頭にも流れるのだけど不思議とすごく落ち着くってのもあったのだす。そう不思議とね。
東京で滅多に地元に近い人に会う事は無い。
東北の人自体に出合う事が少ないような。。。
自分の地元と似たようなイントネーションで話す人達や街が、震災で大自然に飲み込まれて行く衝撃は昨日の事のように自分には刻まれているけど、
珍しく自分の地元と似たようなイントネーションで話す生きてる人に会って、わあーと思っても、風のようにとおりすぎることも多くて、
そういうのもまあいっか、とか思って過ごしていて、
なので、ずっといつもはあまり地元とか地域を意識しすぎずに、世界のどこの生まれでもどこでも関係無いなという精神で生きているんだけど、
(いろんな土地のことが好きだし)
ただ、民謡は懐かしさと同時に、今も尚流れ続ける土地にとっての「公」の存在であり、
その「公」の存在が、
故郷に降り立った時に、 分け隔てなく私にも「お帰りなさい」と言ってくれるもののように感じていたと思う。
火事で無くなった蕪島神社の前にも「八戸小唄」の歌詞が書いている石碑があったはずなんだけどさ。
蕪嶋神社が無くなったのも、すごくショックだったわー。
津波には堪えたのに、火事で無くなった!
いつも友達と行くところなのさ。小さいときからさ、ドライブでも必ず行くところ。
こういう出来事も、普段は抑えていた故郷に対する思いを崩壊させたと思う笑。
なんというか、愛とか鼻水とかいろんなものがダダ流れし始めたと思う笑。
アイラブ はちのへ〜(気持ち悪がらないで)
(帰った時にあったかい気持ちもふつふつと感じるようにもなっておるのです。)
「ずっとある」なんてコトは無い。
これは小さい頃から、自分の経験で学んで来ていることでもあって(建物やモノ)、で、だからきっと音楽とか固形物じゃないものに手を伸ばしてみたのだろうけど、
たまたまだけれど、建物がなくなっても道路が変わって行っても時代が変わって人が変わって行く様子の中で、民謡や童謡をやらせてもらうことになったのも、そういうことなんだと思う。自分の思考回路と整合性があったのかもしらん。
分け隔てない存在に、救われて来ているんだろうな。
きっと、他の分野にもあるのかもしれないな。
絵本とかかな。探してみよう。
ちなみに、私は童謡を歌うのは、初めてではありません。
コンピレーションで、「きらきらぼし」や「てるてる坊主」も歌っています。
これは、企画のお誘いをいただいき、とっても興味があったので楽しくやらせていただいた思い出があります。
オフィシャルHPの miikiii.com のワークスに記載しているので、調べてみてください。
結構いろいろやってきているんだけどねー...いろいろやってきたな。
この何年は、まず自分がリラックスして想像力や感覚を取り戻すためのモードだけど、なんだか世がやたらざわめいているので、ゆっくり。
ここで、いきなり仲本工事さんとの思い出写真。
ざっくばらんにお話いただき、最高でありました。
「報道の自由度ランキング」の日本のランキング、結構話題になっていた。
突っ込みどころが人によって違って面白いですね。
私はそのランキングの自体、んーこれはいったい?と思うんだけどさ
だって、んなの国によって事情が違う。
記者にとって都合が良い国が、良い国家かという話でもないわけで。
報道にどういう問題があるかってのは、情報に触れているその国の人々それぞれが現実的に感じていると思う...。
記者の思いと民意も常に重なっているわけでもないし。
アメリカなんかよりはチャンネル数が少ないわけだし。
なんでちょっとこの話題が気になったかって、個人的にはメディアも権力だと思っているからかな。
(過去にすごい嫌な思いもしてるし。)
それより報道のランキングがどうたら以前に、
日本では、なにかしら政治の報道があって騒ぎになる度、審議の内容が散らかったり、委員会が延期になったりと、日々かかる国会や復興の時間や予算を無駄にしていくことの方に、人々は関心を持ちつつイライラしていると思...。
ま、いろいろ思いつつ、レディース会合はやっぱり癒されるなあ。
おいしいカフェオレ淹れてくれる人はみんな善人です(定説)
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