2018年7月23日月曜日

青春?それはキミじゃないか〜2018






先日、映画部改カレー部にShohei Arita君も入部。
美味しかった。
満足したレギュラー部員が「花火したい」という事で、コンビニで買って近くの公園へ行き花火をした。

したらば沢山のキャーやワー。
花火スポットになっていたのである。

あちらの青春は、準備通りに快適に火を確保し順調に華やいでいて、

こちらは風が気持ち良いが、その風でなかなか火を確保できず、鶴ちゃんのおでん🍢(昭和)みたいにアチアチいいながら

挙句、風で飛んだビニールを追いかけてAritaくんは片足池に水没しつつ、
「全部で300発」の半分以上占めるのではないかと思われる終わらなそうな線香花火まで漕ぎ着け、
「いいよなおじさん(志村)」(昭和)のマネがなんとなく起こったころには、

あちらの青春は最後の記念撮影をしていた。


火薬の匂いがいい感じだと思いながら、いつものカフェに移動し、

「花火やってきたんですか?え、ほんとに?!」
やらなそうに見えるのであろうか…いつものカフェスタッフさんに驚かれ、

最終的に  

「藁 法螺貝 祭り」
「蛙 変身 祭り」
「鶴 舞い 祭り」
「ゲドン 首領」

私のスマホの検索履歴をこうやって見る限り、日本の奇祭の話をしておった。
楽しかった。

おかしな祭りたくさん行きたい…( ´Д`)y━・~~



さて、
Arita君は、ナカコーことKojiNakamuraのSpotifyプロジェクト作品
Epitaph」でも詞をかいているソングライター。

作品の更新がいつも楽しみだから、あえてふたりにその話は聞かなかったけど、
ランチライブに遊びにきてくれたときに、カセットMTRで録音していた話をしていたりして、
よく考えたらカセット世代じゃないはずだけど、
「質感」とか言葉の感じも「距離感」とか、そういったディティールやフェチズムみたいなものを繊細に愛おしんでおられる。  

Arita君のソロ曲もいいなあときいているし、
Epitaphのナカコーのあの楽曲と音の世界観に乗る言葉の共存も素晴らしいよ。

音楽と文学が好きな方は是非聴いてみて。




さっきの「青春」は、年齢とか一般イメージを内包して使ってみたのだけれど、 

ここで、八戸酒造さんのライブの話。

まずは、すべての関係者様とご来場のみなさん、ありがとうございました。

入場から、
私達のキャラクターや音楽性からぶっ飛んだ、格闘家もしくはミスター味っ子が入場するみたいな、陽気でハイテンションなアナウンスに爆笑しながらステージへ立ちました。

あの辺、ほんとにさあ、すごく知ってるのよ。

ステージ立つときは、長年大きいステージだろうが小さかろうがどこでやっても変わらないでやる気持ちはあるんだけど、

あんまだからあのときはそんなにローカル感ださないし、
沼澤さんやユザーンさんには「あそこがうちの祖母がやっていた店舗で」なんて出さないし言わないんだけど、

祖母の元お店以外にも、古川家のご先祖さんが、八戸酒造さんの建物の近くの館鼻というところなんですね。


お寺さんの後継ぎ騒動に仲裁に入って、割れた片方の和尚さんに新しいお寺さんを作ってやろうって率先したご先祖さんなんですよーと、
そのお寺さんに、父が亡くなった時に聞いていた。

祖母だけでなく、父にも凄い戒名がついちゃったから「どうしてなんですか」と訊いたら、お寺さんでもちゃんと言い伝えられて、そうさせてもらっている、と。

「まあまあ、無いならもう一個作っちゃいなよ」的な...ご先祖様について、
昔話みたいに伝えられているように、昔からその辺りの土地にどっぷりゆかりがあるのです。


陸奥湊、館鼻、小中野…っていう、あの八戸酒造さんのエリアはですね、
かつての中心街、東北屈指の花街だったんですね。

八戸酒造の対岸「みなとばし」を渡ったエリアに、若くして亡くなった祖父の実家だったところがあります。


百鬼夜行みたいなかんじで、ご先祖ご一行様も遊びに来ていたらおもしろいのになあ。(妖怪ではない)



バックステージでは高校の同級生がお手伝いで来てくれていて、息つく束の間に

「この隙間からの感じ いいよ。見慣れてるだろうけど。」

と、友人が指差しました。

さりげなくいい感じの、夕方の見慣れた景色が、やっぱり目の前にありました。  





↑これはきてくれた人がUPしてくれていたやつ。良いところおさえていらっしゃる。



セットリストは、ひさびさというか、
初めての八戸のつもりで新旧のラインナップにさせてもらいました。

最初はKOUTA LPの発売を知ってくれた酒造さんからオファーがあった時は、酒造さんも私も最近の感覚でやるつもりで、その意思は変わらないんだけども、
節目でのご縁で、場所が場所ということもあり、

取手のju-touさんのように、なにかが湧く場所で気持ちよくできる気がするなあと、
いろんなものへのご挨拶みたいな気持ちもあり、
相談しながらあのセットリストになりました。


ランチライブもそうだけど、
モニタリングとかバランスとか気にするところを
飛び越えて、楽しかった。

ああいう編成でも新曲や過去曲を並べてやることは、追憶とは違うことをしているつもりです。

聴いてくれる人は追憶だろうがなんでもいいんだけど、やるほうはそんなそういう感覚では無かったりするものですね。
今の感じでは出来ないなあって曲もあったりするし。
なんでもできるわけではない。 

というのは、自分の中で曲は生きものだからだと思います。


新曲について勝井さんや沼澤さんから、「あれ何拍子?難しい」「面白いよ、自分だったらどう入るかなとか考えていた」とか
いろいろ言ってくれるのも、アイディアに繋がっていくから楽しい。




↑東京から来てくださったビームスのマゴさんやサマリーの山本君がとってくれた写真


最後の四人の八戸小唄も面白かった。
他の3人が国籍不明のブルースとかソウルなニュアンスになっていた。


追記:ユザーンさんは唯一クリックを聴く役なのにイヤホンが水に浸り、びしゃびしゃにしていた。 
 (前回の吉祥寺のインストアの時はタンバリンをびしゃびしゃにしていた)


ナカコーとユザーンさんは物販でも活躍中に、
(私の作品にナカコーとユザーンさんのサインが入っていた…)
私はその間にコメントに対応したりしていて、

終わった後に出て行ったら、遠くから来てくれた人たちも残ってくれていて、サインしたり写真撮ったりしましたが、

こうやって
観たいから沖縄からきました...兵庫から…静岡から…東京から…

仕事を片付けてきたんです!という方々の顔を見ていると、


きっと心に汗をたくさんかいて泣いて笑って、
チケット手に入れて、作品を持って、
旅する準備して…って、

心をいっぱいにしていて、 
彼ら彼女らが心地よい風をまとっているように見えます。


みなさん青春しているではないか。
と、見えます。

それ、くれ。
(とは言わないけど)

そのひとの時間が止まることなく更新されていて、
受け売りではない自分の力でその時々を捉えようと行動する熱が、そう感じるのかなあと思います。
例えば、現在に渡って特にナカコーのやってる音楽を聴いているひととかは、過去曲やってもその意味みたいなものが通じていたりするし。

(別に一部の曲は東京で絶対やらないって意味じゃないですよ。元々私はライブの回数が少ないし、現状は音鳴りとか土地の感じとか感覚的なものが必然性を感じればやってみたいと思う曲も出てくるのかもしれません)



海外のミュージシャンが小さい本屋の一角でアンプラグドの引き語りをしたのとか知ったりすると、「わーいいわー自由だなあ。ホールでやるのも良いけどこっち行きたいわー居合わせる距離にいれないものか...移住か」と、心が熱くなることがあります。私の場合。






私は普段あえてあんまり青春って言葉をつかわないのだけれども、

青春ってスタンプ押してあげたい。
(アダルトには明朝体の芋版で)

言葉に埃は被せまてん2018


10代の衝動だったり不器用さとは違う計画性や快適さや責任を今は持っていると思うけれど、
割と生きていると山あり谷ありだったりするわけじゃないか。
ずっと持っているものと変化したものとがあるんだろうし。


私は、カメラのデータはだいたい花とか動物とかだし、
たいていの悩みは昭和のギャクで済んだり(済むんか)
Bowieとか追っかけたい人が死んじゃって生まれて来る時代間違ったのか...とか思ったり、 
老人もしくは木の目線になってしまっているのだろうか。
だから、みんなのことそうみえるのかしら...どうなのか。


夏の過酷な環境で、更にお肌が限界を越え、ボロボロ過ぎて皮膚科に予約を入れたよ。木から人間くらいには戻れるようにがんばるわね。

八戸で洗顔したら次の日マシになったのあれなんだったんだろう。
水がやっぱり合うんだろう。


関係ないけど、オリンピックの聖火の点火は火薬田ドン(ビートたけし)がいい。


楽しんだ勝ち。

八仙美味しかったし。

普段お酒を頻繁に飲まないけど、スパークリングの八仙が口当たりがよくて好きで、飲めない沼澤さんのぶんも飲みました。

魚介類とか食事に合うお酒好きには「八仙 漁り火 」がイメージらしいよ。

夜、イカ釣り漁船がたくさん岸壁にいて、
イカ釣り用の大量のライトが発光している風景も好きです。



DEEPな八戸も魔界だったな。

昼間はたぶん見えないんじゃないかな、昼間はドア無いよ...きっと。



















まあまた8月に父の三回忌で八戸帰るけどね。
早いなあ。
ついこの間みたいなのに。ひいー!



また機会があれば、勝井さんとも八戸でご一緒したいなあ。


さて、いろいろやらねば。

練習



7/24から目黒CLASKAにて、
「TOKYO SOUND SCAPE by cowcamo」音楽写真展が開催されます。

参加するのですが、これに関して取材記事が掲載されています。

暑くて気だるい夏ですが、ソーダでも飲みながら、
是非読んでみてください。 

で、お買い物やお出かけがてら、CLASKAへも是非。
CLASKAは元々ホテルだから、ホテル機能やギャラリーだったりするんだよね。
私は過去に遊びに行ったりDJしたことありますよ。





2018年7月14日土曜日

やっと書いた。

誤字脱字は見逃しておくれ。


まず、西日本の大雨による被害者の方にはお見舞いを申し上げます。
そして、被害によって亡くなられた方に心からご冥福をお祈りいたします。

近年に大雨で京都周辺も被害に遭われていたり、
昔とはお天気の様子も変わってきていると感じているのもあって、
警告や勧告など、時系列で情報を追いつつ心配していました。

今回予想をはるかに上回る被害だったということで、
遡ると阪神大震災の時にニュースであの映像を観たショックや、
東日本大震災を経てきて、常々思いますが、
どこにいても大自然に「おそれ」と敬意を持ちながら生活せねばと、改めて思います。

古代の歴史を見ても、文明は治水が肝なのだと学ばされます。「日常」を感じ安堵する日が、少しでも早く被災された地域の方に訪れますように。


コンビニの商品輸送に自衛隊がお手伝いで参加したというニュースから、
被災地のコンビニで商品を売ることについて、批判的な意見も上がっているようですが、
おそらく現場にはいろんな側面もあるのだと思います。

地方のコンビニはスーパーが近くに無かったり、まだ一般車両が入り難い場所にもあったり、
フランチャイズの個人経営ですからね、無事だった建物は早く血を通わせて、救助や支援にあたる方や深刻な被害を免れた方々に利用してもらうのが、共倒れにならない手段だとも思います。


私は昔、東日本の震災とは別で、少し避難に近い生活を一瞬経験したことがありますが、
スーパーなどで「以前と同じように」商品を見るとか買う「日常」というものに、安堵し明るい気持ちになったあの感覚をよく覚えています。

非日常から日常へのドアというものは、さりげないところにあり、
被災で自由に使えるお金がすぐに無いとかあるとかではなく、
道が閉ざされる事無く通じていて、自発的な自由さが近くにあるということを確保されていると実感することは、孤独感や絶望的な気分を和らげるし、エネルルギーになるところもあると思います。
おそらく被災地の現場の方はこのことについて決して嫌に思っていないと思います。

自分が託したい募金機関に募金するのが一番良いなと思います。

暑くなっていますが、身体は壊さないようにお過ごしください。
一日でも早く、インフラも整い復興されますように。



話は変わって...

実は告知がなかなかできていませんが、お店にポンポンチャームなど、ちょこちょこ入荷していたのですが、告知前に旅立って行ってくれたりしていて、
PONPON Charmは残すところ在庫ひとつとなっております。

現在やることも結構あるのと買い付けがピンと来ていなくて、波がやってくるまで待ちの状態です。
なかなか見つからなかったら、また発注を掛けようかな...とか考えつつ、
BAKE CAKES SHOPオリジナルバッグパックは、気分とかノリのセンスで出来上がるもので発注する時のリスクが高かったんだけど、ああいうのも一期一会で幻アイテムになりそうです笑。

作って良かったー。御購入の方にもご満足いただけて大変嬉しいです。

KOUTA LP も少なくなっています。


BAKE CAKES SHOP. はこちら
miiicom.theshop.jp


で、

写真展に参加します。
miiikiii.comに詳細upしていますので、ご覧ください。
参加者は知らなかったんだけど、見たら、かっこいい窪塚さんも参加だよ(かっこいいね。2回目)

久々にフィルムで撮ったのだけれども、普段の生活の視点を呼吸をするように撮影してみました。
デジタルの画面を見て撮影するのに慣れていたから、とっても新鮮で、
フレームを合わせようとカメラを覗いて撮影するのは止めてみたんですね。
面白かったです。


で、このいちまいいちまい大事な展覧会用に撮っていたカメラにですね...

先生!いたずらをしたひとがいます...


 
 
フラッシュの使い方がわからなったみたいで、ぼんやりした自撮りになっていますね。
(自撮りの表情じゃない)
 

ナカムラ氏に見せたら「あ、ボーズオブカナダ」と言っていました。
 
お茶目だね。

引き延ばして展示してもらおうかと思いました。


というわけで、

7/16日、八戸酒造「八仙 夏の蔵まつり」このメンバーで八戸へ参ります。
フルカワミキ÷ユザーン+ナカコー×沼澤尚



アー写にしてみました。

八戸でのライブは20年ぶり2回目となります。
滅多にやらない曲もやると思います。

個人的には八戸の地で「通りゃんせ」をやることも肝なんですね。


「八戸小唄」やこれまでやってきた音楽と共に。
小唄のことをメインできかれていたので、そこも書いておきたい。


アイデンティティにまつわる音楽。
「通りゃんせ」って全国的に信号でかかっていて小さい頃からみんな知っている。

私は「通りゃんせ」の舞台のユザーンさん出身の川越は三芳野神社にもお礼に行って来たから、そこから八戸に土地でも鳴らして繋げる気持ちでおります。

ユザーンさんとも、なかなかご一緒する機会もないですしね。


青森の東奥日報さんやデーリー東北さんという、
地元新聞に興味を持って取り上げていただき、これがすごくすごく嬉しいのです。

(小唄はブログでも書いていた通り、音楽として好きだったからが一番です。
明朝体?の活字になると、ささいなきっかけが深刻な感じに見えてしまうかもしれないけど笑、
そういうことじゃなくて、
いろいろ重なって、当時それまでのロックやポップ的な音楽が一時的に、精神的にしっくり出来なくなってしまって、昔からの記憶に染み付いている民謡なら自発的にやってみたいと思えたのでした)



全国誌もそりゃあ嬉しいのだけど、
地方出身の方はわかるかもしれないが、
私は音楽を始めるときに、「このまちでも、この音楽が、このまちのスピーカーや、ラジオやテレビから流れて欲しい」と思って始めました。


今ネット時代とはいえ、情報の伝わり方って地域の文化によって違ったりする。

なので、地元のメディアさん(ちゃんと作品を購入して聴いていてくれてる)から興味をもって取り扱っていただくって、音楽生活の中でもとても嬉しいことのひとつです。

私からも「掲載してもらってるよ」と言うひとには言うけど、
「新聞に載ってるって教えてもらった、見たよ」と、親戚とか友達とか連絡をくれたりして、
キャラじゃないかもしれないが、やっぱりそうやって知ってもらえて嬉しいなと。

 音楽はあんまり詳しく無いとか、おじいちゃんおばあちゃんたちにも、
 八戸出身の人に、こういう人がいるんだって知ってもらいたいな。

「夢は、演歌歌手を束にして燃やしてやること」でおなじみ淡谷先生の他にも、

「柿ピーのピーをふやしてください」で、おなじみのフルカワさんとか、
「十和田市民センター建設はうちの死んだじいさんも関わってる」のナカムラ氏とか、青森県の人に知って貰えたら嬉しいな。

ちなみに淡谷先生を見ると、うちの祖母を思い出します。

マグロの解体ショーとライブとお酒。
たぶん明日もブログアップできたらするけど、
陸奥八仙の酒蔵さんです。




 そして!!!!

明日7/15 は下北沢440
OPEN 12:30 START 13:30-
勝井さんとユザーンさんの定期イベント「ランチライブ」に出演します。

勝井祐二×ユザーン×ナカコー×フルカワミキ

当日券若干数出るみたいですので、前売り御購入のお客様入場後に販売となります。
チケットは下北沢440店頭のみでの販売です。




連日ですが、どっちもこういうスタンスで臨みたいです。

 


て感じで、展覧会もライブも、miiikiii.com をご覧ください。
 


ほいでなんだけど、もう少し。

前に「KOUTA LP」のご感想とともに連絡をいただいたのですが、

「妄想癖がすごくて、他人からも指摘をされているし、自分でもそれを認識しているのですが、好きなアーティストを傷つけてしまっているかもしれない」
という悩みもありまして、

その方は 自分で認識しているので、きっと真面目でこころねは優しい人だと思うので、
その方のお話を書くつもりはありません。

きっとその悩みから抜け出せると思いますよ。


いやあ、自分で認識してなくて、
実在する人のことを取材とか調べもしない配慮もしないで妄想を書き連ねて活字にしてしまうような人もいて、
そういう人は、実際は裁判案件だから問題あると思うんですけどね。


ネットでも他の有名人に当たっていったりとか、結構あるあるだと思う。
ある程度年齢を重ねて自分も困ったりしながら、気付いて行くのだと思いますが、
「妄想は妄想でしかない」です。

「○○と聞いた」とあっても、例えばメディアとか第三者が存在する時点で、
脚色やさらに思い込みが入って、
現実とは異なっていることが明らかになったり、誤解であったり、
今のSNSの世界ではたくさん垣間みれるようになっています。

気をつけていても、興味が浅ければ信じてしまうこともよくあるし。


一方的に知っているつもりでも、知っているのはほんの少しでしかない。
ということを忘れないでいて欲しいです。

なんでも喋る人もいるし、喋らない見せない人もいます。


自分も想像したり妄想とかあるけれど、 そういうのは自分の中に留めている状態が一番楽しいです。

実在する直接の知り合いでもない関係性で、
キツい言葉になったり傷つけたくなったりしたら、それは自分が危険な状態だと留まってほしいです。

作家は神様じゃないから。
聖人君子じゃないし、人間なの。人の子なんだよ。

私はすごく若い時に、作家や音楽家達をキラキラした神様みたいな存在と思ったりしていたんだけれど、
間近でいろんな人にお会いできる機会を頂いて思ったのは、同じように苦しんだり何か欠落していたりと、それにある独自の視点を持って自分と向き合っていろんな生き方をしている人達なんだなと、それでまた尊敬を深めました。

自分が引き込まれる表現はこういう背景があるものだと。


妄想が行き過ぎてしまう方は、その思い込みから、本人の大事な言葉を聞き逃したり見ないフリをしてしまったりすることもあると思います。

自分がそんなつもりがないことを、「そうだ」と決めつけられたら苦しい。
みんな一緒です。


作家が何かを発言したときや作品のささいなことを「自分のことかもしれない」と思って、傷ついたり喜んだりとあると思うんだけど、
それは表現物というのは、共感が和になったりするものだから、時にそれが恋愛と同じような作用がある場合がありますが(私もボウイの嫁になりたい、とか冗談で思ったりするわけです。死んじゃったけど)、

そういう性質が魅力でもあるという認識に至らず、作家の特別なヒトになりたいと思う方もいるかもしれないけど、

作家からすれば「”作品が” その人が頑張って生きる人生や生活にとって、特別な力になってくれたらうれしい」と思っているので、
作品以上のことで、傷つけられる言葉を向けられると悲しいのだと思います。


苦しみとか悲しみとかいろんなものが、音楽を聴く人と同じようにあって、
それを他人を傷つけないで解放する手段として、
音楽や文学や映像なり、そういった表現物になったり、自分の得意な事ややりたいことにぶつけているのだと思います。

だから、自分が救われたとか好きだとか思ったら、それをそのまま作家に伝えてあげたほしいです。

それが次にまた、笑って欲しいとか心が軽くなって欲しいとかいろんな願いを込めて、作ろうと励みになるからです。

作家を尊重してあげてほしいです。
私は他者の表現物と向き合うときには、新たな発見をしたいと思っていて、
自分のものさしというものから離れる訓練でもあり、それを楽しんでいる。

自分の行動が相手にとって影響力を持ちたくて、コントロールしたいとか傷つけたいとか意地悪な気持ちが浮かぶのは、特に10代とか人の成長過程にあるとは思うんだけれども、

その相手がそれまでの生い立ちや経験で苦労して来たりして「やっと得た現在」だったとしたら、どうだろう。

 自分との共通点を探すって本来は素敵なことなんだけれども、
「度を過ぎると」毒になってしまう。
 

なんでもない、普通の会話でもニュアンスを取り違えるケースって山ほどある。

勘違いとかそういうのはたくさんあるから、決めつけたりしないで、
自分が楽しくいられるような、心地いい距離感をはかりながら、

心を軽くして、音楽を楽しんで欲しいです。


ささかやなものが儚いです。
震災とか、先にも書いたように、明日は我が身。

なるべくよい気持ちを伝えたいし、そういう記憶を残したい。
おたがい「ありがとう」と、言い合いたいなと。

要は、
余計な事は考えないようにして、苦しまないでおくれ。


私は今、
ゴロピカドンを作った人に「ありがとう」って言いたいわー。

インスタのストーリーにあげて、男女ともに好きな人がいたけど笑、

ゴロピカドンって、雨が嫌いなんだよ^^

時々てるてる坊主を持っている理由。かわいいね。