2018年7月14日土曜日

やっと書いた。

誤字脱字は見逃しておくれ。


まず、西日本の大雨による被害者の方にはお見舞いを申し上げます。
そして、被害によって亡くなられた方に心からご冥福をお祈りいたします。

近年に大雨で京都周辺も被害に遭われていたり、
昔とはお天気の様子も変わってきていると感じているのもあって、
警告や勧告など、時系列で情報を追いつつ心配していました。

今回予想をはるかに上回る被害だったということで、
遡ると阪神大震災の時にニュースであの映像を観たショックや、
東日本大震災を経てきて、常々思いますが、
どこにいても大自然に「おそれ」と敬意を持ちながら生活せねばと、改めて思います。

古代の歴史を見ても、文明は治水が肝なのだと学ばされます。「日常」を感じ安堵する日が、少しでも早く被災された地域の方に訪れますように。


コンビニの商品輸送に自衛隊がお手伝いで参加したというニュースから、
被災地のコンビニで商品を売ることについて、批判的な意見も上がっているようですが、
おそらく現場にはいろんな側面もあるのだと思います。

地方のコンビニはスーパーが近くに無かったり、まだ一般車両が入り難い場所にもあったり、
フランチャイズの個人経営ですからね、無事だった建物は早く血を通わせて、救助や支援にあたる方や深刻な被害を免れた方々に利用してもらうのが、共倒れにならない手段だとも思います。


私は昔、東日本の震災とは別で、少し避難に近い生活を一瞬経験したことがありますが、
スーパーなどで「以前と同じように」商品を見るとか買う「日常」というものに、安堵し明るい気持ちになったあの感覚をよく覚えています。

非日常から日常へのドアというものは、さりげないところにあり、
被災で自由に使えるお金がすぐに無いとかあるとかではなく、
道が閉ざされる事無く通じていて、自発的な自由さが近くにあるということを確保されていると実感することは、孤独感や絶望的な気分を和らげるし、エネルルギーになるところもあると思います。
おそらく被災地の現場の方はこのことについて決して嫌に思っていないと思います。

自分が託したい募金機関に募金するのが一番良いなと思います。

暑くなっていますが、身体は壊さないようにお過ごしください。
一日でも早く、インフラも整い復興されますように。



話は変わって...

実は告知がなかなかできていませんが、お店にポンポンチャームなど、ちょこちょこ入荷していたのですが、告知前に旅立って行ってくれたりしていて、
PONPON Charmは残すところ在庫ひとつとなっております。

現在やることも結構あるのと買い付けがピンと来ていなくて、波がやってくるまで待ちの状態です。
なかなか見つからなかったら、また発注を掛けようかな...とか考えつつ、
BAKE CAKES SHOPオリジナルバッグパックは、気分とかノリのセンスで出来上がるもので発注する時のリスクが高かったんだけど、ああいうのも一期一会で幻アイテムになりそうです笑。

作って良かったー。御購入の方にもご満足いただけて大変嬉しいです。

KOUTA LP も少なくなっています。


BAKE CAKES SHOP. はこちら
miiicom.theshop.jp


で、

写真展に参加します。
miiikiii.comに詳細upしていますので、ご覧ください。
参加者は知らなかったんだけど、見たら、かっこいい窪塚さんも参加だよ(かっこいいね。2回目)

久々にフィルムで撮ったのだけれども、普段の生活の視点を呼吸をするように撮影してみました。
デジタルの画面を見て撮影するのに慣れていたから、とっても新鮮で、
フレームを合わせようとカメラを覗いて撮影するのは止めてみたんですね。
面白かったです。


で、このいちまいいちまい大事な展覧会用に撮っていたカメラにですね...

先生!いたずらをしたひとがいます...


 
 
フラッシュの使い方がわからなったみたいで、ぼんやりした自撮りになっていますね。
(自撮りの表情じゃない)
 

ナカムラ氏に見せたら「あ、ボーズオブカナダ」と言っていました。
 
お茶目だね。

引き延ばして展示してもらおうかと思いました。


というわけで、

7/16日、八戸酒造「八仙 夏の蔵まつり」このメンバーで八戸へ参ります。
フルカワミキ÷ユザーン+ナカコー×沼澤尚



アー写にしてみました。

八戸でのライブは20年ぶり2回目となります。
滅多にやらない曲もやると思います。

個人的には八戸の地で「通りゃんせ」をやることも肝なんですね。


「八戸小唄」やこれまでやってきた音楽と共に。
小唄のことをメインできかれていたので、そこも書いておきたい。


アイデンティティにまつわる音楽。
「通りゃんせ」って全国的に信号でかかっていて小さい頃からみんな知っている。

私は「通りゃんせ」の舞台のユザーンさん出身の川越は三芳野神社にもお礼に行って来たから、そこから八戸に土地でも鳴らして繋げる気持ちでおります。

ユザーンさんとも、なかなかご一緒する機会もないですしね。


青森の東奥日報さんやデーリー東北さんという、
地元新聞に興味を持って取り上げていただき、これがすごくすごく嬉しいのです。

(小唄はブログでも書いていた通り、音楽として好きだったからが一番です。
明朝体?の活字になると、ささいなきっかけが深刻な感じに見えてしまうかもしれないけど笑、
そういうことじゃなくて、
いろいろ重なって、当時それまでのロックやポップ的な音楽が一時的に、精神的にしっくり出来なくなってしまって、昔からの記憶に染み付いている民謡なら自発的にやってみたいと思えたのでした)



全国誌もそりゃあ嬉しいのだけど、
地方出身の方はわかるかもしれないが、
私は音楽を始めるときに、「このまちでも、この音楽が、このまちのスピーカーや、ラジオやテレビから流れて欲しい」と思って始めました。


今ネット時代とはいえ、情報の伝わり方って地域の文化によって違ったりする。

なので、地元のメディアさん(ちゃんと作品を購入して聴いていてくれてる)から興味をもって取り扱っていただくって、音楽生活の中でもとても嬉しいことのひとつです。

私からも「掲載してもらってるよ」と言うひとには言うけど、
「新聞に載ってるって教えてもらった、見たよ」と、親戚とか友達とか連絡をくれたりして、
キャラじゃないかもしれないが、やっぱりそうやって知ってもらえて嬉しいなと。

 音楽はあんまり詳しく無いとか、おじいちゃんおばあちゃんたちにも、
 八戸出身の人に、こういう人がいるんだって知ってもらいたいな。

「夢は、演歌歌手を束にして燃やしてやること」でおなじみ淡谷先生の他にも、

「柿ピーのピーをふやしてください」で、おなじみのフルカワさんとか、
「十和田市民センター建設はうちの死んだじいさんも関わってる」のナカムラ氏とか、青森県の人に知って貰えたら嬉しいな。

ちなみに淡谷先生を見ると、うちの祖母を思い出します。

マグロの解体ショーとライブとお酒。
たぶん明日もブログアップできたらするけど、
陸奥八仙の酒蔵さんです。




 そして!!!!

明日7/15 は下北沢440
OPEN 12:30 START 13:30-
勝井さんとユザーンさんの定期イベント「ランチライブ」に出演します。

勝井祐二×ユザーン×ナカコー×フルカワミキ

当日券若干数出るみたいですので、前売り御購入のお客様入場後に販売となります。
チケットは下北沢440店頭のみでの販売です。




連日ですが、どっちもこういうスタンスで臨みたいです。

 


て感じで、展覧会もライブも、miiikiii.com をご覧ください。
 


ほいでなんだけど、もう少し。

前に「KOUTA LP」のご感想とともに連絡をいただいたのですが、

「妄想癖がすごくて、他人からも指摘をされているし、自分でもそれを認識しているのですが、好きなアーティストを傷つけてしまっているかもしれない」
という悩みもありまして、

その方は 自分で認識しているので、きっと真面目でこころねは優しい人だと思うので、
その方のお話を書くつもりはありません。

きっとその悩みから抜け出せると思いますよ。


いやあ、自分で認識してなくて、
実在する人のことを取材とか調べもしない配慮もしないで妄想を書き連ねて活字にしてしまうような人もいて、
そういう人は、実際は裁判案件だから問題あると思うんですけどね。


ネットでも他の有名人に当たっていったりとか、結構あるあるだと思う。
ある程度年齢を重ねて自分も困ったりしながら、気付いて行くのだと思いますが、
「妄想は妄想でしかない」です。

「○○と聞いた」とあっても、例えばメディアとか第三者が存在する時点で、
脚色やさらに思い込みが入って、
現実とは異なっていることが明らかになったり、誤解であったり、
今のSNSの世界ではたくさん垣間みれるようになっています。

気をつけていても、興味が浅ければ信じてしまうこともよくあるし。


一方的に知っているつもりでも、知っているのはほんの少しでしかない。
ということを忘れないでいて欲しいです。

なんでも喋る人もいるし、喋らない見せない人もいます。


自分も想像したり妄想とかあるけれど、 そういうのは自分の中に留めている状態が一番楽しいです。

実在する直接の知り合いでもない関係性で、
キツい言葉になったり傷つけたくなったりしたら、それは自分が危険な状態だと留まってほしいです。

作家は神様じゃないから。
聖人君子じゃないし、人間なの。人の子なんだよ。

私はすごく若い時に、作家や音楽家達をキラキラした神様みたいな存在と思ったりしていたんだけれど、
間近でいろんな人にお会いできる機会を頂いて思ったのは、同じように苦しんだり何か欠落していたりと、それにある独自の視点を持って自分と向き合っていろんな生き方をしている人達なんだなと、それでまた尊敬を深めました。

自分が引き込まれる表現はこういう背景があるものだと。


妄想が行き過ぎてしまう方は、その思い込みから、本人の大事な言葉を聞き逃したり見ないフリをしてしまったりすることもあると思います。

自分がそんなつもりがないことを、「そうだ」と決めつけられたら苦しい。
みんな一緒です。


作家が何かを発言したときや作品のささいなことを「自分のことかもしれない」と思って、傷ついたり喜んだりとあると思うんだけど、
それは表現物というのは、共感が和になったりするものだから、時にそれが恋愛と同じような作用がある場合がありますが(私もボウイの嫁になりたい、とか冗談で思ったりするわけです。死んじゃったけど)、

そういう性質が魅力でもあるという認識に至らず、作家の特別なヒトになりたいと思う方もいるかもしれないけど、

作家からすれば「”作品が” その人が頑張って生きる人生や生活にとって、特別な力になってくれたらうれしい」と思っているので、
作品以上のことで、傷つけられる言葉を向けられると悲しいのだと思います。


苦しみとか悲しみとかいろんなものが、音楽を聴く人と同じようにあって、
それを他人を傷つけないで解放する手段として、
音楽や文学や映像なり、そういった表現物になったり、自分の得意な事ややりたいことにぶつけているのだと思います。

だから、自分が救われたとか好きだとか思ったら、それをそのまま作家に伝えてあげたほしいです。

それが次にまた、笑って欲しいとか心が軽くなって欲しいとかいろんな願いを込めて、作ろうと励みになるからです。

作家を尊重してあげてほしいです。
私は他者の表現物と向き合うときには、新たな発見をしたいと思っていて、
自分のものさしというものから離れる訓練でもあり、それを楽しんでいる。

自分の行動が相手にとって影響力を持ちたくて、コントロールしたいとか傷つけたいとか意地悪な気持ちが浮かぶのは、特に10代とか人の成長過程にあるとは思うんだけれども、

その相手がそれまでの生い立ちや経験で苦労して来たりして「やっと得た現在」だったとしたら、どうだろう。

 自分との共通点を探すって本来は素敵なことなんだけれども、
「度を過ぎると」毒になってしまう。
 

なんでもない、普通の会話でもニュアンスを取り違えるケースって山ほどある。

勘違いとかそういうのはたくさんあるから、決めつけたりしないで、
自分が楽しくいられるような、心地いい距離感をはかりながら、

心を軽くして、音楽を楽しんで欲しいです。


ささかやなものが儚いです。
震災とか、先にも書いたように、明日は我が身。

なるべくよい気持ちを伝えたいし、そういう記憶を残したい。
おたがい「ありがとう」と、言い合いたいなと。

要は、
余計な事は考えないようにして、苦しまないでおくれ。


私は今、
ゴロピカドンを作った人に「ありがとう」って言いたいわー。

インスタのストーリーにあげて、男女ともに好きな人がいたけど笑、

ゴロピカドンって、雨が嫌いなんだよ^^

時々てるてる坊主を持っている理由。かわいいね。