2017年5月6日土曜日

無意識の鼻歌は誰にもきかれたくない。

なんでか知らないんだけども「金ちゃんの仮装大賞」のテーマ曲を自然と鼻歌していて、なんだか恥ずかしくなった。
「なんだっけこの曲『100人にききました』だっけな」とか適当な事思ったりもしたよ。違った。

そんなテンションで徒然書きますね。


秋公開のブレードランナーは観たい作品の大本命。
徐々にいろいろ明らかになってきて、ポスターデザイン観てますます高まる。
軽薄ながらハリソン・フォードとライアン・ゴズリングの共演というだけでも、”俺得”な組み合わせだ。



「今の世に神経衰弱に罹らぬ奴は金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒か、左あらずは(さあらずは)二十世紀の軽薄に満足するひようろく玉(表六玉)に候。
 もし死ぬならば神経衰弱で死んだら名誉だらうと思ふ。時があったら神経衰弱論を草して天下の犬どもに犬である事を自覚させてやりたいと思ふ。」

明治三十九年に夏目漱石が書いた鈴木三重吉宛の手紙の中の一文。
110年前くらいか。日露戦争直後あたり。

110年前や過去の様々な時代や世界の「今の世に…」「今の世は…」という言葉を見るたびに、不思議な感覚がおこるものだ。

今の世は… … まあ続くのは似たようなものなんだろう。
(漱石がいたら、お金持ちでもないのに魯鈍なやつと叱られそうだ。泣く。コツコツやろう...)



とりあえず、ほうれんそうのクロックムッシュ美味しかったわ。
ミスター味っ子にも作ってもらいたい。
(「味っ子」て。よく考えたらかわいいな)



数日前に、インスタにもあげていたけど、ROSASの「FASE」日本公演に行って来た。

ROSAS(ローザス)はベルギーのコンテンポラリーダンスのカンパニーの名前です。
一昨年の「DRUMMING」の公演も観に行っていたんだけど、それ以来。

「FASE」の日本公演は15年ぶりなのだけど、私は15年前は観れなかったために、
もう「FASE」の公演は観れないと思っていた。

どちらのお題目とも音楽はSTEVE REICHですが「FASE」は熱望だった。
その15-16年前位に、ROSASを知ったのと同時にREICHを知ってどちらともの作品を買い揃えた。


当時雑誌の「ぴあ」あたりでもリコメンドさせてもらった記憶がある。
その時はRobert Abelがフィルムに書き込んで作ったひとつのあるアートアニメーションなどと一緒に語らせてもらったんだけども、その部分が記事に含まれたかどうかは忘れちゃった。

表現方法ががっちりと一緒なわけではないが、自分の中で双方にリンクして感じれた部分があったからだった。
(「ROSAS DANCE ROSAS」も好きです。これの音楽はThierry de mey。作品の監督でもある。この方も素晴らしいと思う。)


2017年に念願叶った。
始まって真っ暗闇からライトがパーンと付いた時点で、もう持ってかれた。

私はROSASの「FASE」はカメラワーク含めての演出も込みで素晴らしい作品だと思っていたので、これを生の舞台では自分がどう感じれるだろうと思っていた。

映像作品以上、もしくは更に違うものを感じた。
感動だったな。行けてものすごく嬉しかった。

真ん中の席で堪能致しましたよ。

”VIOLIN PHASE”の始まりの真っ暗な中からゆっくりじんわりともやーっと徐々に、ダンスするANNEが浮かび上がってくる様子に、この日一番魂震えた。(これは映像作品では大自然(森)の中で踊っている。)
ああ…ひとつひとつ言い出したらキリが無くなりそうだ。


ROSASの振り付けであり中心人物…というかROSASそのもののANNEは1960年生まれ
ということは現在57歳前後。(今知った)

今回の日本での「FASE」公演は、最後かもしれない、ということらしい。

例えば、SYLVIE GUILLEMは1965年生まれで、50歳の2015年で引退した。
日本には、生涯踊り続けた大野一雄さんもいらっしゃる。
Merce Cunninghamは晩年コンピュータで振り付けをしたりと驚く方法で表現していた。

それぞれまるで違うけれど、ダイレクトに全身全霊で身を捧げ続ける行為は、肉体の酷使や葛藤と驚きや感動と常に共にあると思う。

「また観たい」とはもちろん思うけれど、それよりも今回の来日に行く事が出来て嬉しかったので、その気持ちを噛み締めていたいと思う。

私はダンサーではないから詳しい事などわからないけれど、惹かれるものは惹かれる。
音楽と音が一緒にあれば何でも良いわけじゃなくて、それにも特に引きつけられるものとそうでないものがある。
チューニングというか好みなんだろう、単純に。

私は眼が弱いせいで、最後にライトが一番明るくなるまでANNEの顔がはっきりと観えなくても、どちらがANNEかというのが分かる。
規則的なリズムをキープする音楽ではないために、どういうタイミングで?など、FASEで表現している重要な部分を握る役割がどちらかというのも伝わって来ていた。


普段たまに遠目でみえるほうが、その人の醸し出すものを感じることがある。

なんだろ、波長みたいなもんかなんかしらないけどフィーリング?とかだろう。
昔から「ああなんか気になる」というのがある。
(かつて近くで話した事もない人に恋をして両思いになったこともあるーなんて余談。)

なんかあんですよ、きっとそういうの。

ああ、2017年に観れたな。
こういう感覚とかいろいろためている。
ちょいちょいと作ったりね、そういうの。



今ですね、お店に新しいお品を入れたいなーと思いながら、何が良いかなぁとか思って悩んでおります。
ずーっとね、悩んでいる。あと、買い付けもちょっと決め手欠けですね。

やっぱり根っこにあるのは、一番身近な同性って祖母と母、次に友達…とかになるんだけど、
小さいときから家事やら仕事やら嫁姑問題やら忙しい母に、たまに買い物に付き合ったりするのって好きだったり、祖母が生地を見立てて浴衣を仕立ててくれたりとか、
そういうのをよく思い出したりするから、

いろいろ女性が楽しむ時間ってものに対して「想い」っていうのがあるんじゃろうなぁ。
女性に喜んでもらえるのはやっぱり嬉しいなぁ...嬉しいですよ。ふぁー。


今日もおつきあいありがとうだす。
たぶん明日あたり、ふいにミスター味っ子の鼻歌を歌ってしまったら、その人たぶん素直な人だと思う。

おやすみなさいzzzZZZ