2016年3月30日水曜日

転がった分の。

SHOP.用のタグを試作中。

その前に、TOPページに動画載せてるんだけど、一応こっちにも。






twitterには載せていないタグなんだけど、その一つの商品用のタグはサラッとできた。なにげに可愛い気が。

モノによってタグは分けようと思う。

捨てられちゃうタグですが、素敵なものも取り扱いさせてもらうので、送り出すときには、そのままでも良いのですが、できれば良さがちょっとでも引き立つように、さりげにサラッとでもネクタイ締めてあげたいな、と。
ベーシックで使うのはシンプルに。

これはTWITTERにあげたほう。








打ち合わせ…のような茶会。

私以外の人たちはケーキやババロア。
BAKE CAKESとか言ってる私がティーとブラックコーヒーを。砂糖無。





DAVID BOWIEもIGGYもLOUも…PRINCEもマイケルも、
好きなアーティストの話しになって、
IGGYの新作はイギリスで3位になったらしく、それまでは全然そういうことになったことない、とか、これまでの不遇な時代の話にもなって、このタイミングでこのような素晴らしい作品ができて良かったねとか、そんな話になった。

それぞれみんないろんな時代があって、すべて輝いているように見えるけどそうじゃなくて、そうじゃない時も同じように重要で、そういういろいろ転がって来た軌跡も見えるところが、いいよね、という。
うんうん…と思ってうなずいていたし、
そういう話ができて嬉しい時間だなと思った。


それって、トライして来たひとってことだ。
(ある土台の)最大公約数を追求するだけのスタイルじゃないから惹かれる。
例えばその”転がること”を軽減したり回避するには前者を参考にその道をカスタムして行けばよくて、安心と安定を提供できるしそれはビジネス的に正解で重宝もされる。それはそれで大変ですよね。大変なんだけど道順や成功例ってまあわかる
そういうのは個人的にリスペクトの示し方の方がその人を表すんでないかなと思うしそう観る。時代のつなぎ方どうすんのかしら、セコい人だったわとかちゃんとやってる人だなあとかこんなやり方があるのかとか。



今話しているのはそれじゃなくて。

何か発する行為に至ったことに直感的に納得するのかなと。
転がった実感を持っている人だからこそ、軽蔑侮蔑する方でなく軽蔑されたり虐げられる声をも発することをはじめ、様々な風景を平等に捉え発する権利があるんだろうと。
心根からすごいなあって思うもん。

そこは数字じゃ見えない。

傷を伴うがゆえ動物的な部分に刷り込まれているだろうし。

クレイジーに感じれる部分は尚最高。「なんでこうしたの?こうするの?」なんて。他人に簡単にわかってたまるか、みたいな理解され難い部分。「また脱いでいたねIGGY」とかも^^。


そういうのは嘲笑の対象になったりもする分、支持する人口もある。


痛いもんは痛いよ。痛いのなんか嫌だわ、むかつくくらい。簡単じゃないですよきっと。だから好きだ。
で「だからなんだよ?...」とも思ってるように思わせてくれる「…」の感情を想像させる経験を伴う表現は、強いなと思。