あう...またこんな時間に...
こんな時間にいち早く読んでくれてる人がいるのなら、ありがとうござります。
夜更かしさんね。
昨日と今日分の分をアップするので...。
深夜ラジオだと思って、ビール飲みながらとか、お布団でうとうとしながらとか、ダラダラおつきあいください。
企画の依頼で作業をしていたんだけど、ほんの一瞬、言い合いしてしまった。バトル。反省。
でも思ったことをちゃんと言えるって信頼してる同士ってことなんだし、悪いことじゃなくて、幸せなんだろうね^^。
性格上、バトル状態もそんなに続かないし、解決したらすぐ切り替わる。
9月には撮影の後にまた地元に戻ったりするから、いろいろと済ませておきたい。というか、ついでにどこか遠くに旅がしたい。気分転換に。
旅の予定はいまのところは無いけど。
地元に居る間に、友達や家族と行ったところなど「観光案内ブログ」も書こうと思ってるんだけど、次回にしよ。
ナカコーがお葬式に来てくれたあとに地元帰省で十和田現代美術館に行っていて、私もそこ真似して行った。
私は今まで美術館の前を車で家族や友達とドライブで何度も通っていたことはあるんだけど、中に入ったことがなかった。
友達はたまにお茶しにくるって言っていて、じゃあ...と定番コースのスポットとなったので、次回も来ようと思う。
10代の頃は、人の居ないただただ綺麗なまっすぐな道で「もったいないな」と思いながら、重いベースを持って黙々と歩いた道だったんだ。
(その時の初代ベースは、ロングスケールのフェンダー ジャズベースだったから。超重い。)
うっかりたくさん書いてしまいそうになる。「観光案内」は次。
この間、「ブログ読みました」って話しかけてくれた方がいたのですが、たいしたことも言えずにごめんなさい(> <)
あの、そのときは自分のことより、その方が言葉を詰まらせている様子に、こちらも胸が詰まるような思いになってしまったのです。
ふさわしい言葉をかけてくださってありがとうございます。(読んでくれているかなと)
親を亡くすっていうのは、誰もが経験することだと思うし、その思いっていうのはそれぞれの人生でそれぞれあると思う。
必ずしも良い関係とは限らないし。でも、それは絶望じゃないと思うし。そんなもんだとも思うし。
血縁はもちろんだけど、血が繋がっていなくても「家族」っていう関係は、強いものがあると思う。
コンプレックスやアイデンティティやら…自分を構成しているものの基礎だったりするから。
たいてい、苦しさも孕むものだったりして。
(家族関係に悩みが無くて、友達みたいに楽しい…なんて稀だと思う。)
そう、「苦しさ」って言ってみる。肯定を込めて。
それについては、社会に出て働いて、親の影響下から解放されて見えることが出て来て、
親を「ひとりのにんげん」としても理解しようとすることが出来るようになると、だんだんその「苦しさ」の向き合い方が変わる。
うちの場合、全然ベタベタじゃなくて、大きくなってから母を悲しませる時は父になつくことは出来なかった時期もあるし、独特な距離感だった。
でも、やっぱりある程度の歳になると、人として話したいこととか出てくるもので。そういうものだとも思う。
私は記憶力が良い方なんだと思う。
少しメランコリックな気持ちになるのは、愛された形跡を辿る時だ。
さみしいような甘美なような。
もう触れたくても触れられないしね。
私はタフな人間なので、元気なんだな。大丈夫だす。
私には少々マヌケな神様がついていてくれるのかもしれませんって思うくらい、どうやってもコメディよりなことが起こってしまう…(リアル グーニーズって言われたことあるし)
で、
お葬式って悲しいことばっかりではない..笑。
不謹慎?いやいや、人間だから当たり前かな。
普通に笑っちゃうこともたくさんあるし、葬儀の準備中に喧嘩っぽいこともあるし笑、父のギャンブル友達は映画に出てくるようなエピソードを残してくれたし、いろいろ。
あとね、
帰ったら必ず会う、高校からの大事な友達がいて「そのうち彼氏紹介するからいつか会って」と言われていて、その彼が、葬儀の担当者だった笑。
その友達には、今回父が亡くなって帰って来たことさえ伝えてなかったんだけど、その関連性で、友達は自分から葬儀に来てくれたんだ。
私に気を遣って、事前に私に連絡せずに来てくれてて、現場でびっくりした。
笑っちゃうし、ありがたくてちょっと涙出た。あたたかくて。
すごくイケテル友達。
「人とのご縁」はね、なんか昔から恵まれたりとかいろいろとあるんだけど、歳のせいか更に繋がったりすることもあったりして、、引きが強いというか、会うべき人に会うってことなんだろう。いろいろと、受け入れよう。
友達と海を見ながらアイス。癒されるー
(( で、「好き」に触れられる時間ってどのくらいだろう ))
昔は、自分は結構早く死んでしまうんじゃないかって強迫観念があって、
当時は今みたいにSNSとかネットとか無い中、いろんなことが早く知りたいし歌が歌いたいと思って、楽器屋に張り紙をした。
他の学校の人と知り合うには選択肢はそれしか浮かばなかった。
今またその感覚がちょっとうずいていて、父が思ったよりも早く天国へいっちゃったのもあるんだと思うけど、
好きなものを紹介したり、好きを生み出したり、好きを探したり、好きに出会ったり…好きの表現をするだけで、
たぶん、人生あっという間に終わってしまう。
可能な限り、実際に好きだと思うものにたくさん触れたり関わったりしたい。
時間が足りない気がする。
私はショップをやっているけれど、ある一人の方が、
「あのバッグが売り切れていた。やっぱり好きなものは迷っちゃ行けない」
と発言していたのを拝見して、その言葉にキュンときてメモっていた。
モノだけじゃないもの。
「すればよかった」「行けばよかった」「見ればよかった」とか、あんまり言いたく無い。
言うのが簡単な言葉だからだと思う。
言うのが簡単な言葉だからだと思う。
後悔の無いように生きるのも難しいけれど、なるべく後悔しないように生きたい。
後悔無く生きているかな 想像が現実になるように生きているかな
恥をかくかもしれない、傷つくかもしれない...なかなか常に体当たりの人ってお目にかからない。
でもなるべく後悔しないように生きたい…な!
いくつか現実にしてきているし。もうすこしやれると思う。
バカにされようがどうしようが。
そう生きている人に憧れる。趣味でも仕事でもなんでも、「好き」が漏れているくらい分かりやすい人に憧れる。
漏らしながら生きたい(愛情を、ですよ...愛情を。)
”好き”の表現だけで、あっというまに終わってしまうな。
ビール一杯のんで音楽聴いてからねる。
「奥入瀬ビール」何種類かあるんだけど、一番飲みやすいやつ(種類忘れた)美味しかった。好きだ。
...これを、こんな時間に、寝る前に読んでくれた方に、いいことありますように☆
今晩もおつきあいしてくれて、ありがとうございます。
今晩もおつきあいしてくれて、ありがとうございます。
おやすみなさい。
奇跡的に夏の海をひとりじめ。(台風です)