2016年8月24日水曜日

娘なんだし。

どのくらい時間が経ったのかっていうくらい、時間軸が凄いことになっているー。





父が天国へ行った。
お葬式を無事終えて来た。


闘病の末、思ったよりも随分早く行ってしまった。

闘病でご飯を美味しく食べられない父に、頼まれてファンタを買いに行く役をしていた。



なかなか会うことがない親戚や父の友達が、父の幼少からこれまでに至るいろいろな話を聞かせてくれた。

亡くなった直後より、私以外の人達が父のことを話してくれている時に、
改めてひとりの人間の存在が浮き立ち、
自分にとって、大きな存在の人生 というものが終わったのだなあと実感して、
やっと、ぽろんと涙が出て来たのだった。



私がやっていた音楽のことはあんまりわからなかったと思うけど、誇ってくれていたのだということも知った。

(もっと誇らしげにさせてあげられたらよかったんだけど。ごめんよ。やりたいことが万人受けじゃなかった笑^ ^;)

分かりやすい応援とか言ってくれる人ではなかったけれど、常に誰よりも味方がここにいた。


色々言ってくれたら嬉しいのに。
父も私も、内面が他人には分かりにくいタイプだ。


やっぱり私はこの人の娘なんだな。

さみしいけど、さみしくなくなった!





今まで出身県で、ライブをしたり歌う機会がほとんど無かったのだけど、

今年は偶然立て続けに、弘前市と青森市に2回、ふるさとである青森県にイベントで呼んでいただき、

2回とも終了後の足で父の入院する病院へ向かっていた。


今年、青森開催され出演した東北六魂祭が、この20年の経歴の中で唯一、父も母にもわかるようなイベントだった。

「今年の東北六魂祭に出るから、またすぐ来るわ」

「六魂祭?何やるのえ?うだうだいにくるのが?(何やるの?歌を歌いにくるの?)」

「うん、そう。」

なんて話をしていて、六魂祭の後にまた病院へいって、お祭りの話をした。




立て続けに故郷に来ることを、知人は「土地に呼ばれたんだよきっと」と言っていた。


偶然なのか必然なのか。


こういうのが続くと、私は「市場」とは違う形で、私なりに「音楽」というものに触れさせてもらえているのかなー近付けているかなぁ。。なんて。

「伝える」とは少し違う感じ、今は。 「捧げる」が近い感じで。


歌う、鳴らす、理由、ワケ、きっかけ、なぜ、衝動、思い、こころ、、
うーん、なんて言ったらふさわしいのかわからないんだけど。なんなんだろう。ああ。


今年、青森で東北六魂祭に出演できて良かった。

現に、私はこのお祭りで、これまで経験した音楽のイベントとは違う感覚を得てもいた。自分の力が及んでなかったとしても、何か在った。
これも言葉にならないのだけど。探していたものが在った気がしたのかな。
偶然と思わないことにする。
感謝しています。





車に乗っているのが好きなのは、100%、父の影響だ。

小さい頃、よく日曜日にドライブに連れて行ってくれた。

大きくなって頻繁に話さなくなった思春期にも、「○○まで乗せて行って欲しい」と頼むと、
絶対にめんどくさがらずに「おう」と、どこにでも連れて行ってくれた。

この歳になるまでずーっと、そうだった。

運転が好きで得意だったのだろう。小さい頃から父と繋がる空間だった。
入院で免許の更新ができないことを気にしていた。


時計も好きだった。集めるのが好きなんじゃない、昔から解体して仕組みをみるのが好きだったと話していた。

時計は棺に入れられないから、時計の絵を描いて入れた。



不景気に突入する前の時代の、社会がギラツイていた時代の仕事の面白さの話も、去年してくれていた。
設計士の資格も持っていると話してきて「えー知らなかったーそうなの?すごい」なんて話をしていた。



私の乳歯が抜ける時、初めて自転車に乗った時、スケートを始めた時、ドライブ、観覧車…
父が居た。



バンド解散のあたりに、父は脳梗塞になったことがあって、右半身が動かし難くなった。

リバビリで、好きな車の運転はできるように持ち直したのだけれど、
私の引っ越しの時の保証人を頼んだとき、
誰にも代筆を頼むこと無く、
全て父が左手を使って自力で書いた、ふにゃふにゃの文字の書類を受け取った。

衝撃だったと同時に、父の人柄や思いを改めて感じて、尊敬という念を噛み締めたことを強く覚えている。



父の幼なじみの従兄弟のおばちゃんが聞かせてくれたように、すごく寒い雪の降る日は黙ってフードをかぶせてそりを引っ張ってくれるような、話下手でまじめで優しい人だ。



ただ、酔っぱらっているところは嫌いだった笑。
もう〜何度酔っぱらいで家族は面食らったか!!!
だから私は反動で、潰れるまで飲まない。

これからは寛容になろ。私もこころおきなく酔っぱらってみたりしよう。





記憶を辿ると、小さい頃、仕事終わりで帰宅した父に頬ずりされ、ヒゲをくすぐったがっていたり、似顔絵を書いて褒めてもらったりしていた時が、ついこの間のよう。


最期に、娘だけれど、父の子供時代を思って頭を撫で、そして娘として、その頬ずりしていた頬を撫で、お別れをした。




「へへっ。はあいい、泣ぐなでば。なぁーに。(もういつまでも泣くな)」
ちょっと困って笑いながら言っているのが、浮かぶ。
ほんと、へんなの。


端から見れば、冷めたような、女らしくないような娘だったと思う。

分かりやすく、もっと頼ったり相談したり甘えてみればよかった。なんて。

でも、難しい笑。
わかりにくいままでいいか。

私は、この人の娘なんだし。

味方なんだし。

ありがとう。

(へへっと笑い飛ばすでしょう)